交響曲を聞きながら

 音楽は好きだ。ポップス・歌謡曲的なものもいいが、交響曲がいい。
 複数のトラックを使って何度も録り直しをしているCDなんかより一発勝負をしているところがいい。(たとえトランペットのハイトーンが不発であっても。)
 同じ曲でも、指揮者や演奏する楽団によって異って聞こえるのがいい。いったい“完成品”とは何なのか、とても考えさせられる。
 設計の仕事は作曲とよく似ている。どちらも完成品はその場所にはない。完成品のためにそれを表現する手段として図面を描き、スコア(楽譜)を綴る。
 そして監理は指揮者のようなものだ。図面では、スコアでは表現しきれないところを埋め完成品を創る。ただし実際に造るのは工務店・大工であり、楽団・演奏者である。自らは造ることはない。図面さえ、スコアさえあれば必要ないのではないか。しかし、そこに関わることによって完成品は確実に変わる。その者の色になる。
 同じ曲、同じ指揮者、同じ楽団でも毎回曲の出来は異る。CD化されたものが一番良いとは限らない。異るものだということを受入れてみる時、そこに次の楽しみが見える。やり直しのない完成品の力を感じることができる。そんな気がする。
ブラームス:交響曲第1番~のだめカンタービレ
 ここに収録されている「ミステイク版」っていったいなんだ?→