『美しくなれる建築なれない建築—慣習の美学』
1章「エッフェル塔と東京タワー」より
建設当初は市民から大反対されたパリのエッフェル塔。
人々は大きな反感を持ちながらも、これを取り払うわけにはいかず、いやおうなしに永年見慣らされてしまった。そしてついには、パリ市民に完全に受入れられ、今や世界の人々からも愛されて100年以上もたってしまった。
高いといえばゴシック様式の大聖堂ぐらいだったパリの街に現れた320mの鉄塔。以前のパリを知る人々からは反対を受けたが、年月が経つにつれ「エッフェル塔のあるパリ」に生まれ育った市民が増え、パリ市民に受入れられるようになったという。果たして見慣れたからだけなのだろうか。
エッフェル塔の構成部材はほとんどがラチス、リベット接合であり、あたかもレースの刺繍のようである。しかし一般にラチスはゴチャゴチャと醜い。H形鋼の方がすっきりして美しいと言われる。また加工費も安価にできる。
醜いと言われる部材を使っても見慣れてしまっていると美しさが見えてくる。実は、本当の美しさを秘めていたのだといえるのかもしれない。
以上意訳
「ラチスが醜くH型鋼が美しい」というのが面白い。機能美としては型鋼のはずだが、エッフェル塔と東京タワー、どちらが美しいかといえば私もエッフェル塔の方が美しいと感じる。単に見慣れているから美しいというわけではない。
ゴチャゴチャしているから醜いのか美しいのかという点は研究テーマの一つになりそう。