『美しくなれる建築なれない建築—慣習の美学』
2章「京都タワーと景観」
4章「京都の中京郵便局と三条通り」より
京都の街並みについて。著者田口武一氏によれば、「古くからの日本建築群のなかに、突然現れて、周囲とは著しい違和感があったはずの特異な建物も、長年月の間見慣れたことによって、ついには、なくてはならない素晴らしい存在になった。」とある。京都タワーではなく中京郵便局の話だが。
京都の中心部の三条通りは100年前に建てられた西洋式建築が今も建ち並んでいる。京都というイメージからはなかなか想像できない街並みだ。景観問題を考えるとケシカラン建物となるかもしれない。しかし、一方これらも“京都らしい”と言われることもあり、保存運動もおこっている。今の御池通や烏丸通に比べれば確かに京都らしい。
京都タワーは竣工後まだ40年余り(1964年12月竣工)なので、まだ「見慣れた」とは言えないのだろうか。著者も「馴染んできている」というような例を挙げながらも、これが後世に賛美されれば“習慣美”の存在が確かめられるとしている。
第1章の「エッフェル塔と東京タワー」の中で著者は「大鉄塔の正面には、遠方から全体が眺められる広くて長い道路が欲しい」と言っている。エッフェル塔などは長い道路の正面にあるので美しく見えるが、東京タワーにはそれがないというのだ。
この本に記載はないが、京都タワーは烏丸通に面している。正面ではないが烏丸通は道幅が広いので遠方から全体を眺めることができる。祇園祭の宵山の時などは歩行者天国になった路上から灯るタワーを見ることができるのだが・・・・「長い通りがあるから美しい」とは言いきれないような気がする。