「私たちの社会は数値的に表示できない能力をカウントする習慣がない。」という言葉に共感!
内田樹 神戸女学院大教授のことば
これは「知性的である」ということと「学力がある」ということは実はあまり関係がないということを意味している。現在の教育論議は学力は問題にするが知性は問題にしない。知性は数値化できないからである。私たちの社会は数値的に表示できない能力をカウントする習慣がない。しかし、個体の生存戦略上死活的に有用な能力のほとんどは実は数値化できないものなのである。
from 5月13日 神戸新聞 『常識的!』
紙面では学生の「学力低下」ということについて述べられているが、冒頭のことばはその問題に限らずあてはまる。
性能を比較するために数字で表されているととても分かりやすい。だから「美しい」というような感覚や製品の特徴など伝えるため、数値化できたらどんなにいいだろうかと思う。
だが「数字的に表示できる」ということは「数値化できることしか表示していない」ということ。また数値化できる部分だけ操作するようなことも行われていることが少なくない。
「数値化できないもの」の方が本質を表している。数値化された一部分だけで全てを評価することは愚かである。
しかし、数値化できたものだけでなんとか本質(に近いもの)を表せないかという気持もあるのだが。
数値の評価基準を最大値(最小値)に求めるのではなく、組合せやバランスによる評価する方法をもう少し考えてみたい。