「建築プロデューサー 朝妻 義征」の『建築家』の原点はこれか? とちょっと思った。 より
建築家とその他の「家」(画家、陶芸家など)とのもっとも顕著な違い
・依頼されないとつくれない vs 自発的につくり続けられる
・具現化するには人の手(職人)に頼る vs 自ら全工程をこなす
やっぱり、建築家=デザイナー なのかな?
自らの手で作品を完成させることのできない建築家を他の「家」と比較して嘆いてらっしゃる(?)ようですが、心配することはありません。
例えば「作曲家」という人達をみてみましょう。シンガーソングライターという一人で完結される方もおられますが、オーケストラ演奏用の曲を作曲する人は、自分一人で演奏を完成させることはできません。
作った曲は演奏者の腕、そしてそれらを取りまとめる指揮者にゆだねられます。(そんな話は以前少し書いた)
作曲家、冨田勲氏は自分でオーケストラを思い通りに動かしたくてシンセサイザーを操るようになったと聞いたことがあります。
私も自分で建てたくて・・・・CGモデリングにはまりかけたことがありますが、最近は余裕がないです。(パソコンのスペックにも余裕がないです。)
映画やテレビ番組の制作現場はもっといろんな人が絡んで面白かったのではないでしょうか。原作者、脚本家、監督、演出、俳優・・・
原作者が大元ですから建築でいうところの(基本?)設計者のようなものでしょうか。実現させるための実施設計、施工図あたりが脚本演出、職人が俳優でそれをまとめるのが(現場)監督というイメージを私は持っています。・・・・違うかな?
映画作品では監督や俳優が称賛されています。音楽でも演奏者を想定してつくられた曲がありますが、建築でも「左官職人○○さんのための壁のある家」とか「大工○○さんの木組による空間」とか職人を指名し、高度な技術を要求した設計がもっとあってもいいなと思うのです。
何が言いたいかまとめると「作品を一人でつくることだけが全てではない」ということです。はい。
(久々の長文、コメントにするのはもったいないので記事にしてTB)