「建築家(設計者)は自分のつくりたいものを好きにつくっているのだろうか」ということに悩みながらも、プロジェクトを決定するときは施主に説明し了解を得るようにしています。当然と言えば当然ですが。
当然と思っているから驚いたのは歯医者に行ったとき。別に痛みはなかったけれど検診に行っておこうと20年ぶりぐらいに歯医者で診てもらうことにしました。(数年前の話。確かこの頃)
上下数本づつの治療と親不知1本の抜歯。診断だけではなく、即治療です。検診に行っただけなのに即、治療です。「いつ抜歯する?」という相談は許されましたが、「治療を少しにする」なんて選択肢はありません。せめて見積りが欲しいなと思いましたが、見積りを出してくれる医者って聞かないですね。(入院するような時はあるのかな)鮨屋に入ったときのようにドキドキです。
家の診断をするときもありますが、良くない結果がでても即、補修工事ということは少ないです。ましてや、了解を得ずに即補修なんて絶対にないです。(診断して即工事というのは悪徳業者の手口に多い)
家の場合は補修と他の部分の改装(リフォーム)を一緒にしてしてしまうということもありますし、
補修をしない→取壊す という選択肢もあるわけです。
いつまで使うのかという寿命は持主が決めることができます。予算との兼合いもあるのです。
そのへんが医者にかかるということとの違いだなと思っておりました。
そんな思いの中で最近出会った記事↓
白倉伸一郎氏のブログ「A Study around Super Heroes」の
『歯医者の思い出』より
お爺さん先生、
「徹底治療しよう!」
という。
で、「銀歯がいい」と勧めるのだ。
多感なる中学生としては、銀歯はイヤだ。
別の治療法について、「見かけはこれが一番だけど、保険が利かないし、第一持たないんだよ」とか説明してくれるので、「それでお願いできません?」というと、お爺さん先生の形相がキッと変わった。
「前途ある者が目先の美観を求めるのか? それは老い先短い者の考えだ。君は現在ではなく、未来をとれ!」
「現在ではなく、未来をとれ!」という言葉が輝いて見えました。
(もちろんこの話のようにウデの良さも必要ですが)
「つくりたいものつくっている」以前に「イイものをつくっている」のです。
安くてペラペラの上に化粧だけ飾るような目先の美観を求めないで、未来を考えた決断を今していきたいのです。