塩屋にて


先週の土曜日はとあるイベントのため塩屋のまちを歩く。(イベントについてはお誘いしたのりみさんが『のりみ通信』でレポートしてくれています)

山と海が出あうところに幹線(国道2号線、JR山陽本線、山陽電鉄)が東西に伸びている。その迫る山の間に集まった街。
しかしこのようなレンガ積みの塀の跡が街のあちこちで見られる。特に古い街並みが残っているわけでもないが、明治時期の洋館が所々残っている。決して最近できた街ではない。


街なかの道はほとんどが坂道。狭い道も多く、中にはこのような階段になっている場所もある。歩くのも大変だけど車もあまり走られないところが多い。


街の中央を流れる塩屋谷川。この川を眺めていると普通と違う印象を受ける。そしてあることに気づく。


河口に近い細い川。人口の密集した場所でありながらゴミが全く落ちていないのだ。その視点であたりを見渡すと道にもゴミが落ちていない。駅にも近く、人の往来の多い場所であるにもかかわらず(当然であるかもしれないが)それが実現されていることに驚いてしまった。


イベントでは「狭い商店街では傘をさして歩くとすれ違うこともできない。ゆずりあう、そしてその時に声を掛合うことが自然とできる街」だというような話を聞いた。
不自由であるがゆえに、豊かな環境を生み出す力を備えているのかもしれないと思う。


今年の夏は暑かった。どこに行っても「暑いですねぇ」と言えば話がきりだせた。快適なところではその一言がはじまらないかもしれない。
不自由であることがいいわけではない。便利に生活ができないと街が廃れる危険性を持っている。しかし便利ということだけを追及していると、知らぬ間に失うものは大きいかもしれない。