電飾が嫌い

昨日から神戸ルミナリエも開催ということですが、それ以外でも街なかに電飾があふれかえる季節です。

住宅地の中でも庭や建物を最近飾り立てる家庭が年々増えてきました。
私は嫌いです。

なぜ嫌いなのかいろいろ考えてみました。
地球温暖化がどうのこうのというのは違うようです。商店街の電飾、パチンコ屋の電飾、大型トラックの電飾・・・・住宅街ほど嫌気がしません。
暗い住宅街だから嫌になるのか。・・・・街灯で明るい通りでもいい感じがしません。
上手な飾り方の家を見ていない。・・・・ある程度当りかもしれません。ギンギラ、チカチカ、数と機能だけを試してみたようなモノ、よく目にします。文字や絵が浮き上っているのもなんかラブホテルみたいで気持悪いです。
でも飾り方の問題ではない気がするのです。同じギラギラ、チカチカでもラブホテルを見るのと住宅のイルミネーションを見るのとでは後者の方が気持悪いです。どうも意識の問題のようです。
ふと、あの電飾が「虚の空間」を感じさせているのではないかと思いました。
ディズニーランドのパレードも電飾キラキラしてますが、「虚の空間」だと分かっているから楽しいのです。パチンコ屋もラブホテルもここが「虚の空間」であることを示すようにチカチカしている気がします。「現実の世界ではないんだよ」という警告です。
それと同じものが、日常の世界の中、突如現れることにものすごく嫌気がしている気がするのです。家路につこうとしているのに「虚の空間」に紛れ込んだような気持になることが。
ルミナリエは非日常の空間がしっかりとつくられているので全然気になりません。
でも駅の電飾ギラギラは日常空間が虚にすり替えられているような気がして違和感を感じます。
日本ではクリスマス自体が「虚の期間」なのかもしれませんが、今後隣近所で明るさ、派手さを競う風習は根づかないことを祈ります。