電線地中化問題

先日の記事では「景観問題は電柱をなくせばいいというものではない」というようなことを書いた。でも決して電線地中化に反対しているわけではない。景観における電線の問題点をよく考えておかないと“電線地中化”だけが目的になりそうでイヤなのだ。
 松原隆一郎:著「失われた景観—戦後日本が築いたもの」の『電線地中化問題』の章にそのあたりのことが書かれてあるので参考にしたい。


まずイギリスやアメリカの電線地中化は景観の問題ではなく、英国では街灯設置において費用の面からガス灯へのハンディとして、米国では裸線が無数に架空されていたため感電死者が数多くでたため地中化が義務づけられるようになった。
日本では電線が戦後復興のもと、安く電気を供給できることが最重要課題であり、また米国のような社会問題が深刻化される前に被服電線が普及してしまった
というような記述がある。
そう、欧米では景観の点から電線が地中化されたわけではないようだ。(結果的には景観に寄与しているが)スタートの考え方が異るので景観の問題だけを掲げて地中化を求めるのではハードルが高そうだ。
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