関係性を持っていくという点では、
内田樹 春日武彦 共著『健全な肉体に狂気は宿る—生きづらさの正体』に興味深い文が載っていた。
・・・・病んでいる人というのはミニチュア志向になって、自分の世界が縮んでいくそうですね。
だとすれば、健全な人というのは自分の世界が広がってゆく人、ということになりますよね。ネットワークが増殖して、体から触毛みたいなものが出てきて、それがいろんな人とつながっていって。
(第一章 世代論に逃げこむな 自分を待っている人に気づこう)
やはり人間は関係性を発展させる状態が健全であるようだ。「広がっていく」といっても、やみくもに広がるのではなく、関係性・・・・何かしらの秩序を持ちながら広がっていくというのが本来の姿である気がする。
都市というのは人間の関係性が複合して成立っているという面もあるから、人間の振舞いを模することによって居心地の好い空間を造りあげることが可能であると考える。
(なんとなくフラクタル)
この本は内田氏、春日氏の対談をまとめた形式になっている。話の内容が次から次へと移り変ってゆき、「いったいメインテーマは何だ?」と思ってしまうが(表紙によるとテーマは「自分」だそうです)、いろいろアンテナに引っ掛る部分が多くて面白い。
言葉の比喩表現が面白く「あ、なる程な」と思わせるセンスがいい。共感するところが多いということはもしかして私も「自分探し」「自己表現」に疲れ果てているのだろうか?
後々の研究のため、気になったセンテンスをメモ書きさせていただく。
これから起こりそうな嫌な事態を予測してあらかじめ手を打っておいた場合、手を打ったことが正しかったと証明するためには、嫌なことに起こってもらうほうがいい。
(第一章 世代論に逃げこむな 世代論の落とし穴)
・・・・ですから、「取り越し苦労をするな」というのは、楽観的になりなさい、ということでは全然なくて、「何が起こるかわからない」のだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないよ、ということなんですね。
(第二章 「自分探し」はもうやめよう 取り越し苦労はやめよう)
・・・・家族というのは、多細胞生物みたいなもので、「さあ、みなさん結集しましょう」とか「家のルールをつくりましょう」ということで単細胞が集まって成立したわけじゃない。まず家族という多細胞の塊があって、それが分節して単体の個人になるわけで、まず個人がいて、それが自主的に集まってきて家族を作るわけじゃない。
(第三章 人間はわかり合えっこない 家族の対話は少ないほうがいい)
・・・・常識は限定された地域、限定された期間中しか適用できない。その外側には適用しないけれど、ここでしばらくの間だけは通用する。
(第四章 個性とこだわり幻想 常識は原理にならない)
1970年くらいから、日本は大きく変わったんだと思います。どうして70年かというと、これくらいのときに明治生まれの人たちが社会の一線から一斉に消えたからですね。
(第五章 健全な肉体に狂気は宿る 明治人の身体感覚)