今年は三木鉄道・・・・といっても国鉄三木線、さらに播州鉄道について調べ物をしておりました。
三木鉄道の廃止についてやら、三木駅の保存がどうのこうのありますが、調べていくうちに「本当にこの鉄道は必要だったのか」というところが気になりだしました。
播州鉄道の三木支線は大正5年(1916年)11月22日に國包駅(現在の厄神駅)から別所駅まで開通、翌年1月23日に三木駅まで開通しましたが、元々加古川水系美嚢川舟運を鉄道に代替する目的で、美嚢共同農業倉庫(三木農業倉庫)の専用線として敷設されたのようです。(「ひょうご懐かしの鉄道―廃線ノスタルジー (のじぎく文庫) 」記載 国鉄貨物局発行『専用線一覧表』をもとに)
これを見てると、北条線とか他の線も農業倉庫の専用線になっているので「よそがやるからオラの町も」という匂いがしないでもありません。
三木の産業は金物が発達していましたが、金物の輸送は既に陸路が整備されており(ソース失念)、鉄道にそれ程期待されていなかったような感じです。