昨日の記事にすみもとさんからコメントいただいたように、国鉄三木線~三木鉄道は旅客輸送だけでは存続が難しい状況でした。
地方の鉄道で存続の鍵となるのが、高校生の足という役割です。
ところが三木市と加古川市では校区が異なり、公立高校の生徒はほとんど通学に使わなかった状態。
また、三木駅から市内の高校まではさらに距離があり、別所町に住む生徒にもあまり便利ではありませんでした。
それから存続の鍵がもう一つ。
他線と連絡ができ、通過交通となり得るかということ。
「盲腸線」という言葉を国鉄廃止が叫ばれた80年代によく聞きました。行き止まりの路線です。
行き止まりの先が観光地や大都市のベッドタウンとなるような住宅地であれば、その路線は一人勝ちですが、三木線はそうではありませんでした。
もともとそういうつもりで敷いたわけではありませんから。
三木線の場合、現在の神戸電鉄と離れている点でも不利でした。
三木鉄道廃止の直前には、DMVという軌道と道路両用の車輌を走らせて三木鉄道と神戸電鉄を結ぶ計画も浮上しました。
この2線がつながっていると、たとえば別所町の高校生が三木東高や三木北高に通うのに利用する頻度も上がるでしょう。
(冷静に考えるとDMVの代わりにバスですむ話。で、導入はありませんでした。)
国鉄三木線と神戸電鉄がつながっていれば、少しは状況が変わっていただろうと思うのですが、実は当初はそんな計画だったらしいです。
昭和11年(1936年)5月20日 大阪朝日新聞記事より
(from 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ 【 新聞記事文庫 】)
記事本文には国鉄三木線(当時は播丹鉄道)とつながるということは書かれてないですが、この図を見るとつながることが当然のように見えます。
記事の段階では鉄道省の認可はまだ下りていないのですが、三木電気鉄道は昭和11年(1936年)12月28日には鈴蘭台~広野ゴルフ場前間を(なんとか)開通、昭和13年(1938年)には三木福有橋駅まで開通させたということですから、ゆっくり詰めていくということもできなかったのでしょうか。
ところで、記事中に「三木、神戸間四十分乃至四十五分」とあります。
これは計画段階での数字ですが、現在神戸電鉄三木駅~湊川は48分と出てきます。
70年を経ても縮まらない所要時間。
小野市にある粟生駅はJRと神戸電鉄の乗り換え駅となっていますが、粟生駅~三宮駅(三ノ宮駅)間は神戸電鉄で斜めに横切って1時間20分、JRで加古川経由ルートだと59分です。
盲腸線ではないですが、神戸電鉄粟生線もなかなか厳しいものがあります。