昨日までの記事で、鉄道による便の悪さについて書きましたが、不便だからこそ宅地開発の波に負けず残った町並みがあります。
「不便だから取り残された」と嘆くこともできますが、「守られた」と称してもいいのではないでしょうか。
以前「のりみ通信」で紹介されていた郡上八幡という所。どんな所かと検索しましたら「郡上八幡観光協会(←音が出ます)」というサイトに出会いました。
郡上八幡への道案内というページにすてきな紹介が書かれてあります。
「郡上八幡へおこしいただく前に… 」より
・郡上八幡への足の便はあまり良いとはいえません。
郡上八幡が全国の多くの市町が均一化されていくのをまぬがれた理由のひとつに公共交通機関の不便さがありました。現在も高速道路の開通などで以前よりかなり良くなったとはいえ都市部のような鉄道のスピード化はすすんでおりません。
長良川鉄道は1日12本、清流を眺めながらののんびりとしたローカル線の旅ですし、お急ぎの方は岐阜からバスをご利用いただくことになります。ご出発の前に時刻表でお調べいただくことをおすすめいたします。旅行の下調べも旅の一部分、そんなお考えでゆったりと旅をされる方に郡上八幡は向いております。
・郡上八幡は観光地と呼ぶにはちょっとふさわしくありません。
観光協会自らがこのようなことを申し上げるのは不謹慎だとお叱りをうけるかもしれません。しかし郡上八幡はズラリとおみやげの店やホテルが並ぶ町ではありませんし、今はやりのテーマパークもありません。古い町並みも観光用に整備されたものではありませんからそこには人々の日々の暮らしがあります。少しずつ修景作業はすすめられていますが軒先に自転車があったり、電柱が立っていたり…。よそゆきの化粧をほどこした風景ではありません。
夏の32夜を踊りに暮れる町の人々、水路で洗い物をする主婦の姿、川で泳ぎや釣りを楽しむ子供たち、格子戸ごしに見るくらしの様子。そんな非日常の生活風景が日常として存在するのが郡上八幡の町の特徴と考えています。
ほかにも観光客をがっかりさせないような注意書きがいろいろ書かれてあります。
けれども、「だからこそ行ってみたい」と思わせます。
「ウチの町には○○がないから何もできん」とかいうのはよく聞きますが、
(つくることは出来るが、運営することはできないっていうのもよくある)
郡上八幡観光協会さん、ないものはなくても地域にあるものを見つけてそれを上手にPRされています。
の~んびりとできるようになったら、行ってみたいです。
不便であるだけで終わらずに、残ったものを上手に殖やしていけばまだまだ嘆くこともなさそうです。