三木市には「ナメラ」という地名がある。「ナメラ商店街」という看板も上がっており、ここを訪れる観光客はその語感に興味を持たれるようだ。
ナメラとは「滑原」と書き、福本錦嶺 著『三木の地名録』には
滑原(なめはら)とは川の中に滑らかな岩が突きでている原っぱから付けられたものである。人が呼んだ地名である。
と記されている。側を流れる美嚢川は現在この辺りから川幅が広くなっており、川にまつわる地名であると想像できる。
ところで、明石の古い地図を見ていると「なめら町」という地名があったことに気がついた。
島田 清 著『明石城』に載っている「享保年間の明石城下図」(『再摂大観』-明治44年刊-より)である。これに明石城下町の図が載っているのだが、現在魚の棚商店街を形成する一画に「なめら町」が記されている。
享保年間とは1716年から1735年までであり将軍徳川吉宗の時代である。
三木市の滑原は三木城内にあり、中島丸と呼ばれていたそうだ。(『三木の地名録』より)
しかし、享保年間になると三木城は取壊されており、「人が呼んだ地名である」ということはそれ以前から非公式に呼ばれていた可能性もある。明石城の築城に三木城の資材を使ったという話や魚の棚は三木の方が古くからあったという話を聞くと、この「なめら町」という地名もなんらかのつながりがあるのではないかというような気がしてならない。