松村潔 著『日本人はなぜ狐を信仰するのか』
狐―稲荷神社について書かれていると思ったらそうではない。稲荷神から始まるが日本の神々のなりたち、位置づけ、ゲニウスロキが出てきたかと思ったら仏教からギリシャ神話、エジプトの神まで飛んでいく書籍である。
日本の神々と西洋の神々とを結びつけることを怪しいと思うのではなく「類似性がある」ことを同じ発祥を持つ事象または人類の共通意識として考えるなら多くの入口を示してくれる書籍だと思われる。
特に興味深かったのが伏見稲荷に祀られている猿田彦(辻の神)からエジプトの冥界の神アヌビスとの共通点に注目し、ジャッカルの頭部をもつアヌビスが他の領域との接点にあることからジャッカルとよく似た狐が日本では他の領域との接点を担い、稲荷も他の領域との接点であるということを感じさせるところである。
狐は春になると人里に現れ稲が実る頃山に帰っていく。農業の神、稲荷神の使いとなり、また人間界と自然界の接点と成り得たようだ。狐は自然界側の接点であり、人間界側の接点にいるのは犬であるようだ。
また伏見稲荷に祀られている三社から
「天」「地」「人」
「陽」「陰」「中和」
「+」「-」「0」
「高皇産霊神タカミムスビノカミ」「神皇産霊神カミムスビノカミ」「天之御中主神アメノミナカヌシノカミ」(造化三神)
等々導きだし「ヤコブの梯子」とか「ゴールデン・スレッド」とよぶ連鎖形式を紹介している。
1は、より上位の力に対しては3という結果の位置づけになり、またさらにもうひとつ上位に対しては、受動の2になる。つまり男性的で能動的なものも、実はもっと高度な領域に対しては、受動的で女性的な役割とみなされてるということでもあり、存在はすべて相対的な位置づけで役割が変わるという考え方なのだ。
そして1、3、2で完結しているだけでは発展せず上位、下位と結びつくことによって発展していくということらしい。この考え方が古事記などに見られるというのだが、これは「円」に対する「螺旋」の考え方であり、生命の基になるDNAにつながるのではないか。また「中和」…安定したところから電子を飛ばし結合したり上位、下位元素になるという万物創世のしくみにつながることではないかと想像してしまう。
熟読するには時間がないのだが、引用元がいろいろ記載されているのでそれだけを追うにしてもindexとして役に立つかもという本だ。