『センゴク天正記』と地域性

センゴク天正記 』13巻
毛利勢との戦が始まろうとしています。
黒田官兵衛言うところの

「中国方面は元来天然の要塞が多い故、国人(中小領主)一つ一つが強固」「故に当主は国人を強固に支配すること能わず」「必然毛利の大成は織田と相反する国人連合体〝衆中〟となる」

秀吉言うところの

「織田家じゃあ当主の上意は絶対じゃが、毛利はあくまで国人衆の合議で動く…」

というところが気になります。これを読むと播州地域も中国文化圏に属している気がします。現在でも合議を優先し、誰かがトップに立って仕切ることをしません。合議といっても話し合いの前に根回しが必要なのであります。
これがお隣の摂津地域では誰かをリーダーとし、その人の下に組織づく体制のような気がします。
作者の宮下英樹氏はどのように調べられたのかわかりませんが、今も残っている地域性が室町時代以前にさかのぼるというのが驚きです。しかし地形的な所以があるなどと言われれば納得してしまいそうなのであります。