11月24日フェリシモ神戸学校第187回 山崎亮さん 受講メモ
山崎亮さん…はっきり言って避けていました。「ランドスケープデザイナー」という肩書でまちづくりのソフト的なことをやってる人。…あんまり自分と重なるカテゴリにはいないと感じていたけど、まぁ(この業界の)人々が騒ぐからちょっと気になるなという気持ち。『まちへのラブレター』も買ったけど、乾久美子さんだからまぁ損はないなという気持ちで。(それでもまだ完読していない)
話を聞いてみて「あ、この人はデザイナーだ」と思った。アーチストではなくデザイナー。まちの、ひとの未来をできるだけ幸せになる方向に導くしくみをつくる人。「デザイン」というのは物事を秩序づけること。秩序の基準を探しだし役立つ仕組をつくること。
「コミュニティデザイン」という新しい仕組をつくっているが、現在のまちに本当に重要なデザインだと感じた。
公共施設をつくるにしても利用する人たち、それもある一定数の固定利用者を確保するためのしくみをつくろうとしている。それは「使われない施設は意味がない」ということ。
建物ができれば人は利用するという時代は終わった。建物が良ければ人は利用するという保証はない。
建物ができれば人がくるという時代が終わったのだから、何かしら仕掛けをしなければならない。ソフトがタダである時代も終わった。ソフトづくりにはコストがかかるのだ。
しかしハードのコストを下げ、その分ソフトのコストを上げても全体のコストを抑えることは可能。建物ができる前からソフトを準備しオープン時にソフトを受入れる体制づくりを主張されている。
まちづくりにしてもソフトを重視する。「つくらないデザイナー」というがソフトもまず既存のコミュニティを活用する。誰をどこに集めれば他のコミュニティが動くか。そこに新しいコミュニティを発生させることができるか。これらをただ単に成り行きにまかせるのなら素人の域である。自分の描く秩序に組上げていくところがデザイナーたるところである。誰でもできそうに見えて相手やプロジェクト、その場の状況で変わる流れに答えを出していく技は容易くない。話の中ではいくつものパターンをあらかじめ想定しておきその状況に応じてどういう方向にすすめるか応えを準備しているということであったが、ボードゲームが相手との対戦だけで何手先も読むことを考えるといったいどれ程の手を読む必要があるのだろう。
現在のまちづくりに不可欠となるジャンルの専門家である。今後ソフトづくりとその専門家の必要なことが当たり前となることを期待する。(山崎さんはコミュニティデザイナーが不要な社会が理想だと言ってたが、それはその先の話)
今回の話の内容については『コミュニティデザイン』とか『コミュニティデザインの時代』に詳しく書いてあるようだ。